最近、歴史家と一般大衆の史観の断絶を感じています。
近現代史は言わずもがな、ことに戦国期においてもそれを強く感じています。
歴史家は中世戦国期を戦争の歴史として、そこにあった暴力や破壊。そして殺戮について向き合う姿勢を見せている。一方で大衆は歴史上の人物に感情移入し、あるいは歴史の中にロマンや夢を見いだし、ピントを合わせる。
どっちが良いかとか悪いかとかの話ではありません。歴史家がいなければ時代の実像が見えなくなってしまう。虚像にまみれた歴史なんて私は知りたくも無い。一方で大衆の文化として積み重ねや、歴史から生まれた新たなる物語の数々は、現代に豊かさをもたらしてくれている。
しかし双方の視野、史観がもはや断裂していて、歴史家と大衆の繋がりが年々薄くなってしまっているような、そんな危うさを感じているのです。その内歴史家の言葉など見向きもされず、大衆が独自の歴史を生み出す。そんな混沌の時代が始まりつつあるのかもしれない。
もっと言えば、
自分の目に見える範囲でしかものを考えられない人が増えているのかもしれないと。
さて今回取り上げる書籍は、戦国期の戦争について深い理解を促す一冊になっています。このブログに来た貴方はこの本を読み、歴史家の洞察と戦国期の実像を知る一つの切っ掛けにして欲しいと思います。
本日は『本能寺前夜 西国をめぐる攻防』を取り上げます。
戦国の終焉に向けて大きな足掛かりを築いた織田信長。
彼は1582年に起きた本能寺の変で明智光秀に討たれのは有名な話。
この本はそれから逆算して、信長の上洛から本能寺の変まで期間における信長政権の戦争を、西国の情勢を交えながら、毛利氏側の視点を中心に、信長が本能寺で討たれるまでの外交、軍事の状況をまとめたものになります。
著者は光成準治さんは、九州大学大学院比較社会文化研究院特別研究者。並びに広島大学の非常勤講師をされている方で、専攻は日本中・近世移行期史、空間構造史。著作物に毛利氏に関する物が多いです。ここ数年にかけて多くの著作物を書かれている方でもあります。割と一般人でも買いやすい書籍が多い様に見受けられるます。
私はこの本を読んで、確実に戦国期に対する解像度が高まったと実感があった様に思います。戦国というと、どうしても戦術的な話や武将の活躍にフォーカスされる事が多く、より詳細な戦略面についての話がされる事が少ないと思っていだけに、この本は今まで不透明に感じていた戦国時代の戦争への理解が飛躍的に高まりました。
- 大名らキャスティングボードを握った武士と
- 大名家の狭間で生き残りの領地安堵の為に何度も所属大名を鞍替えしながら足掻く在郷武士たる国人衆との差異。
- よく豪族連合と称される事の多い毛利家の実像。
- 中央集権化と兵農分離による飛躍的な動員力を獲るに至った織田政権の強み。
- ライバル関係であった明智光秀と羽柴秀吉。劣勢に立たされる毛利氏。
- 交渉に失敗した長宗我部氏
- 長宗我部氏との戦争を決意した織田政権等々
毛利氏が九州北部、伊予国の河野氏経由で四国、として京方面、領地内で蜂起する尼子再興軍と多方面作戦に疲弊し、また豪族連合体という組織の性質上、動員の際は各地域の豪族に依頼し、相応の礼を求められますが、続く戦争により地域の小領主に頼った動員形態には限界を迎えました。また織田政権との戦争では、防衛戦の為領土拡大の可能性も無く、戦争に参加した豪族に領地を分け与える事も出来ません。これは、元寇終了後に恩賞に御家人が強い不満を持ったと言いますが、まさにその時の鎌倉幕府と同じ轍を踏んでしまったと私は思いました
。毛利氏が置かれている状況はかなり厳しいもので、上杉氏同様もし信長の横死がなければ、大名家として滅亡を在りえたかもしれません。
ただ単純に「領地の大きさ=強さ」と私達は誤認しがちですが、織田政権が何故あそこまで強かったのか。毛利氏は何故劣勢だったのか。織田・毛利の戦争への理解が格段に進みました。
個人的に興味深い点として、毛利氏と大友氏の九州北部を巡る抗争と大友宗麟の暗躍についてです。九州の戦国に興味がある者として楽しく読ませてもらいました。
商業都市博多の利権をめぐって激しく争われた毛利・大友戦争ですが、ここまで日和見な九州北部国人衆に、九州という枠を超えた規模に紛争が拡大していた事が知らなかったです。一般的に大友宗麟と言うと評価の低い人物になりますが、そんな彼が浦上氏等の毛利氏の敵対勢力と関係を結び、対毛利包囲網を形成していた事には驚きました。
私自身も大友宗麟を軽んじていた節はありましたし、九州の戦国というと大友・島津、竜造寺の三大勢力を軸に考えがちでした。しかし、紛争の影響は他地域へと拡大していますし、大友宗麟の動きもまた九州の一地域をの枠を超えた外交をしています。もう少し大きな視野で物事を見る必要性をこの本から学びました。
また本の後半からは島津氏の台頭も書かれています。
その過程に宮崎県の西米良村に本拠を置いていた菊池米良氏や、肥後国内でも有数の国人の1人だった甲斐宗運の文字が文書内で現れる等、包括的に戦国九州の戦局の変化についてかなり詳細に書かれています。
地域の郷土史を扱った書籍では、記載が断片的だったり、逆にピントが在郷の国人衆視点が書かれる為に逆により俯瞰的な通史がよくわからない事がただあります。
この本はあくまでも本能寺の変という区切りの中での毛利氏を中心に西国の情勢をまとめた本であり、九州の戦国については副次的な扱いではありますが、織田政権が確立した頃の九州戦国時代の情勢と勢力の外交関係について、これ程に分かりやすい本はそう無いのでないでしょうか。
一般人と歴史家の史観が大きく分かれる点は鳥取城の攻防戦について書かれたページになるでしょう。鳥取城と言え「鳥取城の渇え殺し」と評される程に凄惨な攻城戦が行われた場所として知られています。鳥取城は数か月の籠城の後に開城し、吉川経家は切腹しました。これを将兵の命を救う為の死として美談にされたり、悲劇として扱われる事があります。
ですがこの書籍においては、毛利氏に近い一族である石見吉川氏出身の経家がここで死ぬことにより、毛利家自身も前線で戦う国人衆同様に血を流している事を内外に示す為の、ある種の生け贄(意訳)と評されている。歴史を物語として見るか、出来事として見るか。読み手の意識一つで読み取り方が大きく変わると思います。
大変興味深い読書でした。
毛利氏がここまで大名として制度的、構造的限界を迎えていた事にはただただ驚いています。毛利氏というと西国の雄。大大名というイメージがありました。
しかし、実像は違います。
一国人衆に過ぎなかった毛利氏が国人衆という枠組みの中で大きくなったに過ぎず、より中央集権的な織田政権との戦争に苦戦している様は、私の知る毛利氏では無かったです。
やはりイメージで歴史を考えるのはやはり危険だと思うには十分でした。
正直タイトルに間違いは無いものの、間違えを誘発するタイトルではあると思いますが、戦国という時代をより俯瞰的に見る一つの材料としてこの本をお勧めしたいと思います。
良かったら是非とも手に取られて見て欲しいです。
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