独断と偏見とちょっとしたスパイス 93
アウシュヴィッツ博物館案内
─絶滅収容所と痛みの記憶─
Amazonより引用
今回紹介する本が発刊されたのが今から20年前の2005年になる。そこで何気なしに20年前の出来事を調べていた。今はネットがあるから過去を調べるのは容易だ。いいニュース記事もある。それが、時事通信社の「【図解・社会】平成を振り返る、2005年10大ニュース」
【図解・社会】平成を振り返る、2005年10大ニュース:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_general-10bignews2005
このページでは2005年に起きた重大ニュースをランキング形式で振り返るものとなっている。またランキングは国内ニュースと海外ニュースで分かれている。福知山線の脱線事故や愛知で行われた愛・地球博、アスベスト公害の問題なんかは今でも記憶に新しい。その中でも海外ニュースにおいて、20年後の世界において皮肉めいたトピックスがあった。
「10位・イスラエル、ガザから撤退」
時代は移ろいだ。ナチスドイツによるジェノサイドや、他国での多くの迫害という辛いバックボーンを抱えたユダヤ人が多数派を占める国・イスラエルが今やガザ地区への「最終的解決」を図ろうとしている皮肉。圧倒的な軍事力を背景にガザ地区の都市部を破壊尽くす様はワルシャワゲットー蜂起を連想してしまう。被害者が世代を超えて加害者になる。有史以来脈々と受け継がれてきた暴力の連鎖は、ユダヤ人を加害者にしてしまった。少なくとも、もうユダヤ人がナチスや多くの国で受けた迫害について、その痛みを語った所で白けた感想しか浮かばないだろう。イスラエルの暴力は、あまりにも自衛の範疇を超えてしまった。日本人への無差別爆撃や原爆による被害が世界ではあまりジェノサイドとして認知されていないのは、やはり日本帝国時代の加害があったからだと自分が考えている。これからイスラエルやユダヤ人の苦難の歴史はどう扱われるのか。人々の価値観が変わる瞬間が見れるのかもしれない。
さて今回取り上げるのは中谷剛さんの『アウシュヴィッツ博物館案内』
日本人で唯一アウシュヴィッツ博物館のツアーガイドを務められている中谷さんが執筆した書籍。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所はポーランドに建築されたナチスドイツの強制収容所。ホロコーストの舞台となった場所で、ユダヤ人を始め、ロマやソ連捕虜、ドイツ人犯罪者なんかも収監され、強制労働や人体実験、毒ガスを用いた大量処刑と言った方法で多くの人命を奪った悪名高き場所で知られている。現在では世界遺産として多くの施設が当時のまま残され、在りし日を後世に伝える場所となった。
私がこの本を読みきっかけは最近映画『関心領域』を見た事がきっかけだった。この映画はアウシュヴィッツ初代所長となったルドルフ・ヘスとその家族の日常を描いた作品。直接的にアウシュヴィッツにおける残虐行為を描く事は無かったが、映画もラストカットの近くなった最終盤。現代のアウシュヴィッツが映し出された。現代の博物館では被害者たちが身に着けていた生活道具は展示品として残されている。そしてそれを会館時間前に清掃品がガラスの窓を清掃している映像だった。そこで自分はアウシュヴィッツ博物館の事をよく知らないと思った。アウシュヴィッツでの出来事は一般常識として押さえているものの、より具体的に収容所で行われていた事や悲劇、殺戮について無知だったから、この機会に学ぼうと思いこの本を手に取った。
読みながら20年前の過去を想った。今の時代ソ連の崩壊前夜の東欧史を学ばないと「ワレサ大統領」とか「連帯」、「円卓会議」なんて聞かないし、あとがきにウクライナの「オレンジ革命」について触れられるとも思わなかった。私達にとっては遠い歴史でも、この本が書かれた頃にはそれが直近のニュースだった事を認識してしまうには十分だ。それでもこの本は、より遠くの後世に残す価値がある本だと思う。何なら電子化していつでも、どこでも読める様になって欲しい。それぐらいの価値があると思った。
ポーランドの住む中谷さん自身の話から本は始まる。小学校の頃初めてホロコーストの話を聞いたこと。大学卒業後3年日本で働き、その後ポーランドに移住した事。そして、永住権が取れた事。中谷さんの話って、すごく一般的な、ごくありふれた日本人の話で、これから語られるホロコーストを、直接的な当事者では無い日本人というフラットな視線を代弁している様に思った。
それから現代のアウシュヴィッツの様子。実際にアウシュヴィッツの生還者となったポーランド人との対話。ユダヤ人の虐殺に父が加担した事を知り動揺するポーランド人。苦難の歴史として受け継がれるロマ人コミュニティ。戦後数十年後にやっと支給される事になったホロコースト被害者への補償金。
虐殺がもたらした「痛み」に焦点が置かれている。
歴史の1ページとしてホロコーストは学ぶものの、より当事者の心に迫る機会は無かった。映画もそうだ。ある一側面も知る事は出来ても、ポーランドに住む人々の心情を思う事は叶わなかった。それがこの本では出来る。特に元特命労働隊(ゾンダーコマンド)の生還者の話は迫真に満ちたものだった。ゾンダーコマンドとはユダヤ人で構成されたグループで、主に死体の処理等の汚れ仕事や収容所の運営の為に徴発させられた。また機密保持の観点から定期的に隊員は処刑され、新しい隊員へと交代させられている。その為生還者が限りなく少ない。彼が味わった地獄が、この本からも伝わってきた。ただ彼が語れる言葉にも限度がある。本では収まりきらない地獄は無限に広がっている。
また収容所の置かれている町オシフィエンチムで建てられた「国際青少年交流の家」の話は、日本における歴史教育への大きなヒントになると思った。この施設には年間多くのドイツ人が訪れ、学びを得ている。そこで働く女性スタッフ・ウロダさんの言葉は先進性に富んでいた。
「ドイツの青年たちが自己不信に陥らないようにしないといけないわ。だからここへ来るまでにしっかり自分の国で勉強してから来てもらってるの。歴史学習だけじゃ不十分よ。精神的なケアも必要ね。アウシュヴィッツに対するイメージが外部から植え付けられたものであってはいけないの。既成概念を一度壊して、ここでもう一度自分自身で考えてもらうことが大切。ここは涙を流す所だって思っている人もいるけど、いろんな表現の仕方があるべきよ。ドイツの若者に一階ホールで卓球をして楽しんでもらうことだってあるわ。ここで遊んでいいんだってわかればリラックスできるはず。あんまり思い詰めて、ドイツ人の責任──みたいなものを背負っちゃったら、私たちの目的とは違うものになってしまう。ドイツ人かどうかじゃなくて、自分の問題としてじっくり考えてもらうことが大切なの」中谷剛著.アウシュヴィッツ博物館案内.凱風社. P51.P52
熊本県の多くの小学校の修学旅行先は長崎だった。そして長崎で原爆の惨禍を学ぶ時間が必ずあった。自分の頃は何故かコブクロの桜の替え歌を作って歌った記憶がある。原爆の悲惨さを伝える事が大事、でもこの教育方法だと自分自身で考えるという側面が弱く、振り返ってみると教訓に富んだ昔話を聞いている様な気持ちになった。私が修学旅行に行ったのは大体20年位前の話。同じ時代のポーランドはここまで教育が練られ、考えられていたと思うと、とても先進的に思えた。ショッキングな歴史だからこそ、精神的ケアをしつつ、先入観や固定概念を捨てて、今一度過去に起きた事を考える。現代人はあまりにも歴史を政治化し、SNSで相手のイデオロギーを殴る道具として使い過ぎた。一度そこから一歩引き、「歴史を顧みる」というアプローチとして、この教育方針が浸透すればいいなって思う。
本の後半はいよいよアウシュヴィッツ博物館のガイドが始まる。今までの文章にあったフランクさは影を潜め、おそらく中谷さんがガイドしている様を文章で再現されているのだと思う。そして、広大な範囲に築かれたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を本を通して読者は見学する事ができる。掲載されている写真はモノクロで、実際に現地の雰囲気や匂いはこちらには伝わらないものの、それでも現地で実際に見学しているかのような臨場感があった。施設が施設だけに文章に猟奇的な側面もあり、読んでいて辛いと思う人もいると思う。一般教養としてあった出来事は知っていたが、想像以上の凄惨な現場に言葉が無い。「絶滅収容所」という名前が示す通り、地上の地獄がここに誕生していた。またアウシュヴィッツの犯罪の背後には民間企業や政府までもがかかわっていた事も大きい。ジェノサイドは親衛隊が中心と思われがちだけど、ナチスドイツという国全体が絡んでいたと思うと、ナチスの狂気はただただ恐ろしいとしか言えない。人類の狂気を体現した場所に本を通して見学できて私は良かった。
私はそんなに稼いでいる人間ではない。海外旅行なんて夢のまた夢。だからこそ、本を通して現地の「痛み」やアウシュヴィッツ博物館を見学出来て本当に良かったと思う。写真は「時間」を保管するってみたいな言葉をどこかて聞いたのだけど、本もまた同様に時間と人を保管する媒体なんだって実感した。できればこの本は時間を超え、遠い未来まで残って欲しい。一人の読み手の願いだ。またこの世の地獄を本と通して学ぶ機会は与えてもらい感謝している。いつか、それなりにお金を稼げるようになったら、実際に現地に訪れてみたい。そして、この地上に生まれたナチスの遺産を目に焼き付けたいと思いました。
公式ページは無し。2012年に新訂増補版が発売されましたが、中古本は高騰しています。
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