ギャンブル依存症 田中紀子

2020年12月26日土曜日

角川書店 角川新書 田中紀子 読書

t f B! P L

 世の中の創作物にあーだこーだ言う。


『独断と偏見とちょっとしたスパイス』



第17回は、ギャンブルが飽和する国。日本の社会問題にメスを入れる。



ギャンブル依存症













パチンコ屋にまつわる個人的な体験談がある。

当時パチンコに熱中していた友人と映画を見に行った帰り、

どうしてもパチンコがしたいと言って友人がそのままパチンコ屋に行ってしまう。

1000円だけで言いと言っていた友人は何枚も何枚も札をマシーンに入れた始め、淡々と打っている。


こちらの事はお構いなしだ。


その内パチンコは当たる。派手な演出。終わらないボーナス。出てくる出玉。


私は一瞬で1000円を溶かしてしまい、戦意喪失。

パチンコ屋を出て、熊本の繁華街を1時間以上もぶらぶらと歩く羽目を食らってしまった。



そしてこの話の怖い所は、こう言った話は本当によくある話って事だ。

高校の同級生も、彼女と島原へ旅行に行った時に、彼女をほっぽり出してパチンコ屋に行ってしまい別れている。


また別の友人は、妻が子供を半ば育児放棄してまでパチンコ屋通いを辞めず、結局は離婚してしまった。


本当によくある話。 それだけの中毒性が人を蝕んでいる。




この本はギャンブル中毒という物が一体どういうものなのか。という部分から話を進める。

ギャンブル中毒者が起こした凶悪事件やスキャンダル。ギャンブル中毒者の治療方法と具体的な治療までの流れ。

そして、ギャンブルが身近にありすぎる日本に対する提言までをまとめたものになる。




日本には推定536万人いるというギャンブル依存症。

ギャンブルが家庭に常にトラブルを巻き起こす元凶の一つとして、多くの家庭を壊してきた。

自分の周りにおいても金銭トラブルや人間関係の悪化が見られ、その不幸は数知れず見てきた。


その一方で競馬や競艇等の競技的要素の強い賭博はスポーツとして見られている節があり、子供が触れる機会も多い。


ギャンブルというものが身近にありすぎてもはやあまり意識自体はしていなかったが、

自分の住む町にはスーパーと同じぐらいの数だけパチンコ店がある。

“娯楽の王様”って言っても過言ではないのかもしれない。


日本という国は大きな社会問題にならなければ問題はわりとなあなあで済まされてしまう節がある。

カジノ構想に対する全国的な議論がコロナ前は盛んにされていた中で、

ギャンブル依存症という問題が大きく取り上げられていた。

ただ現状はカジノを作る、作らない以前からギャンブル依存症の問題があって、

それに対する国民の理解は低いと言わざる負えない。


ギャンブルに対する悪印象と、ギャンブラーに対するイメージの悪さが問題をより難しくしている。

そもそも博徒と言われる人たちが徒党を組みヤクザの様な非合法的組織が生まれた背景がある

ギャンブルが好印象を持たれる訳が無いのである。



ここ最近になって、

「ただ罰則するだけではいけないのではないのか。」

という考え方が少しずつ広がっている。

それは麻薬常習者や性犯罪者にも言われている部分ではあるが、

あくまでも罰を与えるのでは無く治療するという考え方である。

この本でも紹介されている依存症患者に対するアプローチは、

頭ごなしな治療ではなく理論的な治療を進めている。

もちろん、依存症患者に対して金銭面を絶たせ、

追い込むだけ追い込む「底つき」を行ったうえで、施設や自助団体等に入会させて、グループセラピー等の参加を促すそうだ


この辺は元野球選手で麻薬の使用等で逮捕された清原和博が、

同じような事をやっていた。ギャンブル依存症だけではなく、依存症全般に治療方法なのしれない。


そして、最近では早い段階から活動に参加させる「底上げ」という概念もある。

まだまだ治療アプローチは未だ模索の段階の様だ。


怪我や病と違い根本的な完治ができない依存症は結局の所それと向き合うしかない。

依存症の厳しさについて学ばされる機会となった。


そして、そんな依存症と向き合う仕組みがまだまだ日本には足りていない様だ。

多くの依存症が生まれ、注目される機会こそ増えてきたものの、

まだまだ根本的に治療し社会復帰させてるという概念が定着していない以上、

その他の依存症と共に、私たちは数多くの依存症問題と向き合う必要があるだろう。


また、この本ではギャンブルを提供する団体に対して、依存症対策を行う事。

そして、一般企業に対しては定期的なメンタルケアを行う事を提言している。


我々の社会は村社会だの、出る杭は打たれるとも言うが、

良くも悪くも個人主義的な部分が多い社会だ。

そして自身の損得勘定や好き嫌いで緩やかにまとまり、苛烈な対立を見せる。

自力救済の発想を誰もが持ち、良くも悪くも多くの問題に無関心な事が多い。

そんな社会で、これからこう言った救済活動がどう広がりを見せていくのか、

私は観察していきたい。




個人的に興味深かったのは、

依存症患者を施設や自助団体に入会させるという職業があるという事。


その名も、インタベンショニスト。

依存症家族から依頼を受け実際に依存症患者に会い、施設や自助団体に参加を促す。という職業だ。

アメリカの方では名の職業の一つで、実際にその様子がドキュメント番組として放送されている。

日本においては数人しかいない様であり、職業そのものの知名度も限りなく低い職業である。


この職業は、これからの社会に大いに活躍が期待されるのではないだろうか。

それだけ社会に疲れている人々は多い。依存症という落とし穴は意外と近くにあると痛感する機会は多い。





ただ私は、この本をお勧めしない。


まず情報量の薄さが気になった。


特に前半部分の「第二章 平成ギャンブル依存症事件簿」の内容は、

あまりに極端な凶悪事件や話題性の高い事件をを取り上げてしまった為に、

かえってコンビニ本の安っぽい実録物になってしまった。そして、それに割いたページを長すぎた。

それがこの本のもったいない部分だと思う。


まるでニュースサイトのコラム記事を見ているかのよう。

新書でなくてもいいのでは無いかとすら思えてきた。良くも悪くもライト寄りの本であり、

より詳細な情報を得たい人にはお勧めできない。


賭場が日本各地にある以上、より身近な事件。一時は社会問題にもなった駐車場に子供を放置して死なせるケースや、

野球賭博等の非合法賭博にも目を向けてほしいと思った。



また著者の祖父、父、旦那がギャンブル依存症だったという話が度々される。

依存症家族の日常についても知りたかったので、この辺についても軽く触れてほしかった。


依存症家族の家庭環境や日常について、ひとつのケースとして知りたかった。






依存症に対する風向きは少しずつではあるが変わってきているように感じる。

昔みたいに頭ごなしの感情論、精神論だけではどうにもならないという事がわかり、

「治療」というアプローチがされるようになった。

これは社会が少しだけ前進したという事だ。


社会と言う物はそう安々とは変わらない。

人の群れはそれだけ変化に柔軟に反応できないのだから仕方がない事だ。


それでは、どうやってこの緩やかなな巨人を動かすのか。

結局は問題を知る事から始めるしかない。

簡単で難しい「知る」というアクション。

壁は大きい。



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