独断と偏見とちょっとしたスパイス 77
機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島
─再構築されて蘇るもう一つの「ククルス・ドアンの島」─
「宇宙世紀」。それは日本で一番知られたシェアワールド。
シェアワールドとは、一つの世界観や設定を共有しながら、複数の作家が独自の物語を生み出していく創作形態の一つ。例えば物語ごとに設定が大きく変わったりするマーベル作品や、作者の想像によって多種多様な異形がいるクトゥルフ神話とかがその代表格。いわゆるファーストガンダムのテレビ放送が始まってから、実に多様な物語が生まれ、クリエイターやファンで共有されてきた。主力ファン層の年齢層が高いイメージはあるものの、一方で露出の多いコンテンツとあって新規ファンも多く流入し、いつも活気にあふれている。今月10月17日には宇宙世紀を舞台にした新作『機動戦士ガンダム 復讐のレクイエム』の公開された。宇宙世紀だと個人的に『閃光のハサウェイ』の続編を待ってます。話の落ち自体は知っているからこそ、アニメ版は一体どのような終幕を迎えるのか。そしてどのように描くのか。早く続編のPVが見たい。
そんな「宇宙世紀」シェアワールドにまた一つの映画が生まれた。
『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』
ファーストガンダムではキャラクターデザインで参加された安彦良和さんが、ガンダムエースでファーストガンダムを再構築したコミック作品『ガンダムTHEORIGIN』を描かれた。本作はORIGIN版の世界観や時系列を踏襲しながら、ファーストガンダムのテレビシリーズ第15話「ククルス・ドアンの島」を安彦良和さんがリテイクする。原作のテレビ版はもちろん24分ぐらいの作品。それをさらに肉付けして、劇場映画にした事になる。
物語自体は世界観とかSF的な設定とか知らなくても楽しめる程に、いい意味で簡素になっているとは言え、割と敷居は高め。元々が「捨て回」と言われる本編ストーリーに影響がない1話完結話の話だから、かなりコアなファン向けの作品。ウィキペディア等である程度ネタバレしないと、主人公のアムロらホワイトベース隊が置かれている状況とか意味不明だと思う。もし可能ならばファーストガンダムかORIGIN版のどちらかを見た方がいい。良くも悪くもマーベル作品とかと一緒で、IPの力に依存した作品の様に思った。しかしファーストガンダムが現代の作画でまた見える。というのは大きな魅力。古いアニメってどんなに名作って言われていても、やっぱり今の綺麗な作画や流行りのキャラクターデザインに見慣れていると、やっぱり躊躇してしまうよね……。それが現代の作画であのトリコロールカラーのガンダムが見れる。それだけで大きな価値が生まれた。
物語の時系列的はアムロ達ホワイトベース隊がジャブロー(南アフリカ大陸にある自軍本拠地)防衛後、ジオン軍の最重要拠点陥落を狙った一大作戦・オデッサ作戦に参加すべくカナリア諸島の島で補給を受けていた所から始まる。補給終了後ベルファストへと向かい本隊と合流する算段となっていた。その時ホワイトベース隊に指令が下る。偵察に向かった友軍が次々と撃破される無人島・アレグサンサ島(実在する。「アレグサンサはスペイン語で「喜び」の意。)に行き、ジオン残党軍を叩けとの事だった。早速ホワイトベースチームは島へと向う。そこにはザクを駆るジオン軍脱走兵のククルス・ドアンと20人程の戦災孤児がいた。圧倒的な技量を持つドアンのザクにガンダムを撃破されたアムロは、ひょんな事からドアン達と奇妙な共同生活を送る事になる。
全編を通して子供達のコミカルでハートフルな描写が続く一方で、残虐な戦争描写も取り入れて作品に濃淡を入れているのが印象的。特にガンダムで敵兵を踏み潰すシーンって宇宙世紀だとよくある事なんだろうけど、やっぱえぐいよね。そして島や子供の描き方にジブリ映画味を感じた。特に子供を美化しているあの感じ。もうフェチだよね。ガンダムやザク、ジムらモビルスーツの重量感や描き方は『ガンダムSEEDFREEDOM』と言った最近の作品とは違ってスタイリッシュさは無いのだけど、リアリズムを感じる。また登場人物達も原作と比べて大分丸くなっているのがかなり印象的。
今回レビューするにあたってファースト版の「ククルス・ドアンの島」も視聴しただけど、ファースト版だと登場人物が揃いも揃って殺意が高いし、言葉にトゲがありまくり。縄で縛られ放置されている瀕死の連邦兵の姿もあって、ドアンらに友軍の捕虜が虐待されている事を示唆するシーンに、ちょっと恐怖を感じた。ザクはネットの評判通り細長いし、四つん這いのガンダムからコアファイターが発進するシーンはシュールだった。ドアンが養っている子供の1人・カーラは普通にアムロにビンタ張ってるし、カーラを通してドアンがアムロに「青臭さが抜ければいい兵士になる。」ってアドバイスしているにも、ちょっと引いた。アムロってやっぱ少年兵だから、孤児育てている人がそれ言っていいのって感じで。モビルスーツで白兵戦を行うドアンの「モビルスーツの格闘技を見せてやる。」という名言は伝説。一話完結の話にしてはとても印象的で、一度見れば忘れられない濃さが良かった。
とは言えあの脚本をそのままやっていたら、多分観客はドン引きしたと思う。何なら子供が石や火のついた棒で攻撃し、アムロも子供とは知らなかったとは言え銃を弾く。そんなシーンも。荒んだ世界観の表現と言えば満点。子供のあの攻撃性。正直テレビ版の方が子供の描き方はリアルだと思う。ただ現実の世情も荒んできているからキツイ物がある。だからハートフルな表現が映画では追加させられたのだと思った。兵隊というよりも戦士みたいな言動も多かったドアンも丸くなり、父性を感じさせる立派な大人へとなっていた。子供達に対して体罰で物を教えるのでは無くて、諭す話口調なのもいい。変に尖っていた頃のドアンはもういない。「モビルスーツの格闘技を見せてやる。」ってセリフも無くなっていた。悲しいけど、あのクレージーさは押さえて正解だと思う。一方で父性を感じさせるドアンとアムロの交流は凄く印象的。アムロってどうしても家族には恵まれず、母とは絶縁状態。父は酸素欠乏症により認知機能は退化、最後は階段から転落し生死不明の状態。家族との交流が少ないアムロがこうやって戦争から離れてドアンを中心とした疑似家族の中で僅かでも生活出来た事はある意味で救いだったのかもしれない。そう思える瞬間だった。
この映画の難点はドアンを含め登場人物達、特にドアンを恨むジオン軍時代の元部下で構成されたサザンクロス隊の背景があまり明かされなかった事。そして、物語の風呂敷を広げ過ぎた事。この2つだと思う。
ドアンや子供達、サザンクロス隊の背景は尺の都合でほとんど明かされる事は無かった。映画のノベライズ版ではその背景が明かされているらしいが、やっぱり作品内である程度描いて欲しい。サザンクロス隊にしても「戦争中に自分の上官が自分ら部下を見捨てて脱走した。」って事があったら自分でも恨むと思うけど、あそこまで殺意を抱かれ、ドアンの存在は部隊内で半ばタブー視されているのだから、サザンクロス隊についてもより掘り下げて人物像をより深めて欲しかった。結局、サザンクロス隊は「ドアンの戦争」を終わらせる為の分かりやすい因縁、舞台装置的な存在に過ぎなかった様に思う。
また島にジオンの秘密核ミサイルサイロがあって、ミサイルを撃つ、撃たないで主人公達の預かり知らずの所ではジオン・連邦軍上層部が駆け引きをしている。これはちょっと風呂敷を広げ過ぎたと思った。連邦軍・ジオン軍の駆け引きのシーンでは連邦軍の代表者には『ジョニーライデンの帰還』でフューチャーされていたゴップ将軍、ジオン軍の代表者は癖の強さが光るマ・クベ将軍になっている。この人選と渋い会話シーンは良かったのだけど、一方で連邦軍本拠地の近くに敵核ミサイルサイロがあったとなったら連邦軍もさすがに島を占領に動くだろうし、ドアンには前途多難な未来しか見えない。この辺は詰め過ぎてエンディングやドアンの決断が蔑ろになってしまった様に思った。童話の様な綺麗なハッピーエンドでも、その後の困難な現実が見えてしまうと創作の魔法は綺麗に消えてしまう。
クリエイターも、作品も、そしてファンも皆年を取っていく。という当たり前の事を感じさせられた。私の様なミーハーでも見れるぐらいの配慮はある。けど、オールドファン向けに作られているのはどうしても否めない。例えるならば、古き時代のロックバンドのライブみたいな印象を覚えた。オールドファンが多いガンダムの世界。ファーストガンダムを語る人は多いけど、その語りに白けた印象を持っているならばこの映画は合わないと思う。ただもしファーストガンダムの世界を端的に体験してみたいと思ったならば、この映画はむしろアリかもしれない。オールドファン達が若い頃からずっと熱中してきたファーストガンダムの世界観に触れられる、おそらく最後の機会になるはずだから。
公式サイト
63秒でわかる「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」
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> まさかのイケオジ化! <
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