独断と偏見とちょっとしたスパイス 37
鳥島漂着物語─18世紀庶民の無人島体験 小林郁 成山堂書店版
─江戸時代中期の無人島サバイバルとは─
楽天ブックスより引用
https://books.rakuten.co.jp/rb/1565172/
無人島生活というのは、その過酷な日常とは裏腹にロマンがある。
少年が過去の大戦の兵器や戦いに憧れてを抱くような、そんな青臭いロマンだ。
そんな文明社会から隔絶され、身一つで生き残るサバイバル生活。
仲間との対立と、それを乗り越えた団結。
そして様々な手段を通して脱出するその日を信じて野生と向き合う日々。
それは尊く、勇ましく、かっこいいものである。
あまりにも辛い日々の生活はさておき。
さて今回取り上げる作品。
『鳥島漂着物語─18世紀庶民の無人島体験』は、
江戸時代中期の漂流者達を取り扱った書籍にになる。
舞台となった島は鳥島。
東京の下にある伊豆諸島の最果てにある島。
これより上には須美寿島。下には孀婦岩がある。
明治以前はアホウドリの一大繁殖地であった。明治以降は一時的に入植が行われ、
その際にアホウドリは乱獲の憂き目にあい、その数を大きく減らす。
明治の入植者たちは、島の噴火に巻き込まれ全員死亡する。
その後も再入植は行われたようだが、大正時代にまた無人島へと戻った。
本の時代は、アホウドリが島一面にいた頃の時代。
海の男たちは廻船に乗り、日本全国と周り稼いでいた。
廻船は今でいう貨物輸送船で依頼者から貨物の依頼を受け、
それを運ぶ業務を生業としている。
また一部倉庫に空きがある際は、私的に貨物を積み他所で売買すると言った、
まさに海の商人と言うべき仕事も行っていたという。
しかし、江戸時代の海上輸送が盛んになった分、海難事故も多発していた。
嵐に巻き込まれた時の最後の手段として、
船体のマストを切り、船を安定させるという手段が取られた。
これにより船は沈まないが、自走する術を失った船の航路はこれより運任せ。
後は漂流するがままに身を任せた。
そんな彼らの一部がこの鳥島へとたどり着いたのだ。
この時、人が住んでいた最果ての島は伊豆諸島青ヶ島。
小笠原諸島には未だ定住者は無く、海外の捕鯨船もまだ進出していなかった。
これはつまり島の近くに航路が無い為、まず人に発見される事が無い。
脱出の難易度がここで上がってくるわけだ。
結果無人島生活は長期に渡った。
書籍で紹介されている事例では最長で20年もの間鳥島で生活を送った人もいる。
この書籍ではそんな鳥島漂流事故を主に二つの事故を通して取り上げる。
- 一つは遠江の船が享保5年頃に漂流し、元文4年に救出された事件。
- 天明5年から寛政9年の間に地域の違う3隻もの船が漂着し、 3隻の船員がお互い協力しあって船を作り脱出した事件。
この二つの事件は、
国立公文書館の「漂流ものがたり」というページで文書が取り上げられている。
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/03.html
それ以外にも漂流事故は起きているが、
この書籍においてはこの二つの事件をより深堀した内容になっている。
この本はその「深堀」の程度が凄まじい。
船員達の出身地の檀家寺まで行って調査を行い、
船員の誕生から漂流までの経緯、そして生還後の生活までを丁寧に調査している。
一般市民を歴史的アプローチを用いて調査するという、
極めて気の遠くなるような手段を用いた事には、
驚きとそれ以上に尊敬の念が堪えない。
無人島生活の記述もありありと書かれている。
彼らは主に島一面にいるアホウドリを主食に生活していた。
そしてアホウドリの羽を用いて服を作り、それを生活着にしている。
アホウドリは鳥島でのサバイバル生活を送る上で重要な要素の一つだった。
アホウドリがいなかったら。彼らの生存率はさらに下がっていた事だろう。
アホウドリは渡り鳥だ。
漂流者によってはアホウドリを干し肉にして保存している者もいた。
アホウドリに対する江戸時代の人々の感想は中々興味深い。
無人島生活の記述で私が一番好きな場面は、
先に鳥島に漂着した船員と後に漂着した船員が初対面する場面だ。
大体の場合、前者を天狗や異形のものと評し、また後者を異人と評している。
剣呑とした対面が、お互いの自己紹介と身分の証明する為に取っていた品々から、
やがて打ち解け合い、協力するに至る。
そんな生まれた場所も、体験も、時代も違った人々が協力関係になる。
そこにはドラマがあり、人間の美徳がある。
この本の面白い部分は船員達の無人島生活だけでは無い。
八丈島や青ヶ島の当時の様子や島役人の行政手続き。
江戸堀江町の宮本善八船(船頭富蔵ら17名)が、
最初に漂流したと推定される小笠原諸島冒険の様子もまとめられている。
米国をはじめとする捕鯨船の活動が活発化していた19世紀の幕末とは違い、
一部の西洋人達による発見と幕府による海洋調査を除くと、
ほぼ人間も訪れない無人の島だった。
彼らは江戸時代の知識や感性というフィルターを通して、
島の情報は後世にまとめられている。
当時は寒冷期で今よりも寒かったという江戸時代の人々が、
温暖な小笠原諸島らしき島の暖かさや本土では見られない自然に戸惑いながらも、
一時的に島に滞在し、生活を行ったという。
そこでの知見もまた興味深い。
結果として漂流船の船員が探検隊の様な活動を行っている。
というのも何の因果だろうか。
また興味深いのが、青ヶ島の現状だった。
青ヶ島では18世紀に大きな噴火が起こり、
島民の多くが死亡するという痛ましい災害が発生していた、
2のケースにおいて、鳥島を脱出した船員達が最初に訪れた島が青ヶ島だった。
しかし、災害からの復興の真っただ中であり、青ヶ島の島民は少数で
その多くが八丈島で避難生活を送っていた。
島には船も無く。漂流者達は泣く泣く
引き続き手製の船で航海をする事になった。
私達の時代において、同じ伊豆諸島では三宅島の噴火と島民の避難が発生した。
その火山災害の様子は未だ記憶に新しいが、当時においても噴火による多大な犠牲、
そして島民の避難が行われていたという事があったという。
その時の幕府や現地役人の行動はどうだったのか。
疑問であり、調べてみたい事柄だ。
国外漂流者の本はわりと探せば割とある一方。
日本国内における漂流事案についてまとめられた書籍は少ない。
ましては当時の伊豆諸島に様子について書かれた書籍もまた少ない。
近世において、
こんなサバイバル生活を送る事になった人々がいるとは知らなかった。
無人島サバイバル生活というロマンと膨大な歴史研究のバランスの良さが、
この本の魅力であり、日本史が好きな人ならば熱中できる程の熱量と
知的好奇心を燻る内容になっている。
もしも、近世に興味がある人がぜひとも手に取って欲しい。
そして彼らの一生を、見ていってほしいと思う。
おすすめの一冊だ。
私は成天堂書店版を読んだが、
今では天夢人より加筆改変が施された『新編』版が販売されているので、
良かったらそちらをチェックされたらどうだろうか。
公式サイト
https://www.temjin-g.co.jp/books/4418000200/
ちなみに、kindleunaided会員は無料で読めます。
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