独断と偏見とちょっとしたスパイス 35
廃墟チェルノブイリ Revelations of Chernobyl 中筋純
─2007年秋 時間の止まった街の記録─
2022年。チェルノブイリはまた世界の注目を集めた。
2020年2月24日より始まった軍事進攻は、
世界的な原子力事故の現場であり、
ゴーストタウンであったチェルノブイリの様子を変えた。
こういったニュースがある。
こちらは東京新聞の記事。
『ロシア軍、チェルノブイリ原発の森で塹壕掘って被ばくかウクライナ当局、高レベル放射性物質の盗難も発表』
まさかチェルノブイリは戦場になり、塹壕が掘られ、
掘った兵士が被爆し病院送りになるとは、誰が想像できただろうか。
戦争が始まる前にこんな事言った所で誰も信じてくれなかっただろう。
正直俄かに信じがたいニュースではある。
ただ、この戦争では専門家も予想だにしていない事が多発している。
何が起こってもおかしくない。 私はとても恐ろしく思う。
想像できない未来に私達は生きている。
時を戻そう。
今回紹介する写真集、
『廃墟チェルノブイリ Revelations of Chernobyl』は
今よりも15年前の晩秋のチェルノブイリを写したものになる。
人間がほとんど居なくなった街。チェルノブイリの秋。
それは自然がその力を取り戻そうと足掻く一方で、
人工物たる街並みは朽ち果て、人間の足跡は脆くも消え去ろうとしている。
写真内の草木は紅葉し、木にはリンゴが実る。
自然あふれる街並みも過去の事故の詳細を知るだけに、
素直にそれを直視する事はできない。
しかし、自然には人間の起こした過ちすらも飲み込んで、
さらなる復興、繁栄へと押し進めている。
高濃度の放射線の晒されながらも繁栄をものにする自然のパワーには、
いつも目を見張るものがある。
印象的な題材の写真がある。
それは錆びた観覧車。
チェルノブイリの遊園地に残った観覧車だ。
何ページにも渡って撮られた写真。
それには、あまりにも哀愁漂うものだった。
遊園地は開園直前に事故が起きたため、一度も開園する事は無かった。
もしも事故が起きなければ。
そこは市民の憩いの場として、子供たちの声が溢れる。
そんな場所になっていたのかもしれない。
そうはならなかった。
観覧車を作った作業員は。
遊園地のスタッフは。
そして、遊園地の開園を待ち遠しにしていた子供たちは。
一体何を思っていたのか。
今はそれを知る手立ては、こちらには無い。
もう一枚好きな写真がある。
それは遺棄された軍用車両の写真。
軍隊が車両を捨てる程に、街は混乱していたのだろうか。
チェルノブイリ原発事故直後の詳しい経過について詳しく無い。
軍隊が乗り物を乗り捨てる程、現場は荒れていたのか。
色々と考えさせられる一枚に思えた。
写真集はあくまでも街や人間の痕跡を中心に撮られたものになる。
廃墟に興味のある人やチェルノブイリという街を見たい人は、
是非とも読んでみるのもおすすめする。
話は繰り返しにはなるが、
こんな廃墟の街ですら、戦場になるとは思わなかった。
戦後のチェルノブイリの光景は果たしてどう変わるのか。
被爆のリスクがある場所なだけに不発弾も後回しに。
または、
人口がほとんどいないだけにそう言った作業は行われないのかもしれない。
そんなさらなる危険地帯へと変貌した街は、
この写真から一体どう変わってしまうのか。
もしも今の戦争が終わったら、その比較をしてみたいと思った。
あまりにも綺麗な廃墟。チェルノブイリ。
人々の痕跡はいまだ残っているが、自然の力は確実に強くなっている。
そんなアンバランスな光景が独特とした雰囲気を醸し出す廃墟写真。
原発事故が残した惨禍として記録された街。
チェルノブイリの光景は、人類に大きな問を投げかけている。
公式サイト
来週はTwitter上の創作作品を在り上げます。
サイバーパンク桃太郎 Rootport
─テクノロジーが生んだ新たなる可能性─
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