殴り合う貴族たち 繁田信一 ─怒れる平安貴族のギャング生活─ 角川ソフィア文庫版

2022年12月16日金曜日

角川ソフィア文庫 角川書店 読書 繁田信一 歴史書

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独断と偏見とちょっとしたスパイス 41


殴り合う貴族たち 繁田信一
─怒れる平安貴族のギャング生活─


公式サイトより引用




平安時代のその混沌ぶりは、
このサイトでも取り上げた『浮浪と盗賊』を読んで学んだ。

奈良時代、律令制の成立により厳格な支配体制が生まれたと思いきや、
食料生産性の低さ故に社会全体が食料不足が深刻化する。

毎年の様に飢餓は発生し、自然災害も深刻であった。

結果生活ができない農民達の逃散が相次ぎ浮浪者が続出、社会問題となる。
最初こそ厳罰化や困窮民への救済策で対処を図ろうとした朝廷も、
後世の政府と比べてその支配力の弱さ故に、やがて社会制度そのものが形骸化。

浮浪農民を集めて小作人とし荘園経営を始まる地方豪族、
各地には盗賊が蔓延し、一方で自然災害や飢饉が頻発し限りなく死が近い時代。
それはまるで「ポストアポカリプス」の様な、混沌の社会がやってきてしまった。

そしてそんな時代の過渡期に、武力を蓄えた者達が台頭しやがて来る鎌倉時代。
武士の時代が始まるのだった。



さてさて、そんな荒れた世情であった平安時代。
日本を治めていた王朝貴族達は一体どうだったのだろうか。

下々の混乱とは対照的に、平穏な生活を送っていたのだろうか。

答えはNO。

貴族達は各々構成員を養い、何かにつけて投石や集団暴行に明け暮れる。
ギャングみたいな生活を送っていたのだった。

貴族たち自身も各々人を襲ったり、殴ったりと狼藉三昧。

何だこれ。


しかし一方で鎌倉武士達が何かにつけて相手一族を族滅していた近未来と比べると、
牧歌的というか、ボンボンの遊び。それでいて中々に陰湿。

もちろん暴力の果てに死亡者も続出している一方で、
監禁や拷問はするが、積極的に相手を殺害する気は無い。

そんなじゃれ合いを、
貴族を始め殿上人と言われる最上位の貴族やら法皇やらがやっていたのだ。


本書は平安中期。
教科書でも自身の権勢を歌った
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」で有名な
藤原道長が摂関政治で台頭しその力を高めて全盛期を築いた時代。

右大臣まで出世し「貴人右府」と評され道長からも一目置かれていた藤原実資。
彼が書いていた「小右記」という日記を元に、
その事件簿を白日の下に晒した。というのがこの本である。




まずはこの目次を見て欲しい。

  目次 序   
素行の悪い光源氏たち   
藤原道長、官人採用試験の試験官を拉致し 圧力をかける
現実世界の光源氏  
小野宮右大臣藤原実資の『 小右記』   
紫式部が描かなかったこと 
1   
中関白藤原道隆の孫、宮中で蔵人と取っ組み合う   
藤原経輔、後一条天皇の御前で取っ組み合いをはじめる   
中関白藤原道隆  藤原経輔、先日の遺恨によって暴行に及ぶ   
殿上人たちの集団暴行   
曾禰好忠、多数 の殿上人に足蹴にされる   
藤原道雅、敦明親王の従者を半殺しにする   
傷心の「荒三位」   
藤原道雅、 路上で取っ組み合って見せ物になる 
2  
粟田関白藤原道兼の 子息、従者を殴り殺す   
藤原兼隆、自家の廏舎 人を殴り殺す   
藤原兼隆、 藤原実資家の下女の家宅を掠奪のうえで破壊する   
粟田関白藤原道兼  
藤原兼房、宮中にて蔵人頭を追いかけ回す   
藤原兼房、 宮中での仏事の最中に少納言と取っ組み合う

繁田 信一. 殴り合う貴族たち (角川ソフィア文庫) (pp.2-4). 角川学芸出版. Kindle 版. 


私は歴史書を読んでいるという認識だったのだけど、
その本の目次がこれである。

何だこれ、
平安時代の週刊誌か何かなのか。

その事件の内容の酷さと、その程度の低さも相まってちょっと引いてしまう。


世の中はまさに死が限りなく近いポストアポカリプスの様な時代の話である。


そんな王朝時代の最高権力者達はおのおの乱闘に喧嘩と、暴力に明け暮れていた。

しかもその暴力というのが武士の様な凄惨極まるものでは無く、
どっちかというと昭和の暴走族の抗争みたいなレベル。

次の時代において、お互いが相手の一族を滅ぼし合う武士達と比べると
茶番もいいところであり、お互い命を張っていない分ただの金持ちの茶番にしか見えない。


そして達が悪いのが、地位や身分、政治的ヒエラルキーを笠に着て、
強い者が弱い者をいじめるという、まさに「大人のいじめ」が繰り広げられるという事。

低い身分の貴族を高い身分の貴族が集団でリンチしたり、
低い身分の貴族の牛車を何かにつけて高い貴族の付き人が投石したりと、
いじめにプラスして社会的ヒエラルキーの要素までを合わせた陰湿な所業。

子供のいじめと比べて、さらに自身の欲望に忠実で、
ヒエラルキーを用いた社会的地位を用いた私刑的な行為。

まさに「大人のいじめ」とは何か。現代人によく教えてくれる教材にも見える。

また暴走族の様に貴族に仕えた使用人達も、
仲間意識やプライドも高く「やられたらやり返す」の精神。

貴族の使用人同士のトラブルが原因で、抗争に発展し、
それがきっかけで雇用主の貴族間の対立にまで発展する事も。


ある意味喧嘩両成敗という法律を立案した中世の武士達は、
これを読むに、理性的だったのかもしれいない。遵法精神があるからね。

ここまでくると、ある種のアナーキーさも感じらずにはいられない。


個人的に面白かった点は、
貴族たちは各々荒くれ者達を養い、
彼らの力を使って敵対する貴族や使用人に対する暴力や、拉致監禁を行っていたという事

相手を殺害する事に対しては驚く程に消極的だった平安貴族たち。
そんな世相もあってか死刑制度も無かったから。
だから長徳の変で花山法皇に弓を引いた藤原隆家も左遷で済んでいる。

しかし、拉致監禁拷問と言った手段はOkという倫理観の為、広く行われていた様だ。
やくざみたいな方法で殺さない程度に半殺しにする。

それが彼らである。

恐ろしい時代だ。


また貴族の守るべきマナーがいくつものあり、
それを違反した貴族に対する制裁とした意味合いでも、暴力が振るわれている。

マナー講師は現代では無く、平安時代にこそ必要な人材ではないだろうか。


貴族間のヒエラルキーは何も貴族に仕える使用人にも関係していた。
使用人はより権力を持った貴族に仕える事によって権力を笠に着る事ができた。

以下本書より抜粋
主人の威光が大きければ、その分、従者たち世間で大きく幅を利かすことができたというわけだ。 その主人の権威や威光というものは、従者たちがしばしば夢中になった賭博をめぐってさえ、有効な働きをすることがあったらしい。例えば、藤原実資によると、長元三年( 一 〇 三 〇)の 六月に放火犯として追われ ていた藤井延清という男 は、藤原道長の孫で実資の婿でもあった中将藤原兼頼の 従者であることを装っていたが、それは、博打に負けて失った財物を取り返すためであった。最上級貴族に仕える従者たちには、その主人の威光を持ち出すこと により、賭博の負けを帳消しにすることさえもが可能だったのだろう。

繁田 信一. 殴り合う貴族たち (角川ソフィア文庫) (pp.213-214). 角川学芸出版. Kindle 版.

 
賭博の勝ち負けすらも覆す、貴族の威光。 ただ恐るべしである。


今あげた話題以外にも、
花山法皇の皇女、路上の死体として発見された。
この一連のニュースに隠されたスキャンダラスな事情とは。

貴族間の借金問題に、借金の取り立てや踏み倒しによる対立。

葵祭りにおける牛車トラブル。

おそらく領地の圧制が原因と考えられる貴族の暗殺事件。

悪霊に取りつかれた女官、天皇を殴る。


と言った目を疑うような事件が目白押しである。


このブログを見た読者の方々には、
当時の倫理観と現代の倫理観の違いのギャップと、
それに対するカルチャーショックを受けて欲しい。  

私はかなり受けている。




この本の難点は2つ。
事件の時系列が章ごとに飛び飛びで、読者に混乱を招くという事。
この辺の構成は雑多な印象を受ける。時系列である程度まとめて欲しいと強く思った。

また内容が中々に酷い為に、
歴史書なのにコンビニとかにある500円ぐらいの
「実録昭和の事件簿」みたいなチープさを感じてしまった。

歴史書を読んでいるのに事柄がアレなだけに、
自分は果てして歴史書を読んでいたのだろうか。と疑ってしまった。

平安貴族たちのスキャンダラスで暴力的な日常は、
現代人から言わせるとインモラルを飛んで、ただただアナーキーなんだよな。


一方で彼らは彼らなりの道義やモラルは持っているから、
彼らに言わせると、それは違うと言われそうだけど。


何となく今は亡き雑誌、チャンプロード(暴走族向けの雑誌)を思い出してしまった。





平安時代において権力者であった貴族たちは、
数々の仕来りや政治ヒエラルキーがある一方で、その倫理観を意図して破る連中がいた。
そして、それに対する罰則はあまりにも緩かった。

結果『殴り合う貴族たち』で描かれた、暴力の応酬が繰り広げられたのだろう。

現代人視点で見ると暴力が満ち溢れた危険地帯・京。という印象になってしまった。
実際治安悪いから強盗もよく出没し、野犬が町を徘徊していたという。

やっぱり歴史を学ぶ上で「イメージ」という物は時として歴史に対する理解を阻害する。
という事はこの本を通して強く学んだ事だ。

貴族。特に平安貴族というと、もうちょっと平和な印象があった。
でも現実は、ギャングの様に武装した上で文字通り殴り合う。
暴走族全盛期の頃の様な、そんなバイオレンスな側面を持っていたのだから。


無論そんな暴力的な側面だけではないだろが。
あくまでも一側面として捉え、より彼らを知っていきたいと思う。




平安時代の印象を変えたいという方は是非とも読んでみよう。
そして、カルチャーショックを受けよう。




公式サイト
KADOKAWA

文藝春秋版も発売されているので、そちらもURLを張ってます。
こちらの方が発売された時期が新しいです。

文藝春秋






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