ルックバック ─創作、友情、離別─

2024年7月12日金曜日

アニメ スタジオドリアン 映画 押山清高 日本映画

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 独断と偏見とちょっとしたスパイス 70




ルックバック 
─創作、友情、離別─

文章を書く。
それは日常生活における出来る事ならやらないで良い苦行の一つ。

こういう文章主体の泡沫ブログを投稿している私だが、文章を書く事に「痛み」すら感じている。正直自分の文章をAIにディープラーニングさせて、キーワードだけ入力して後はAIに書かせたいと思ってしまう瞬間がある。文章を書くという事は自分の内側にある物を文章化し、文字の羅列を通して内外に表現する行為だが、自分の中にある考えを纏めるだけでも時間がかかるし、それを自分の美意識にそって自分らしい文章を書き上げるのにもまたすごく時間がかかる。大したものを書いてないのにね。

だからネットに長文の「怪奇文章」を短期間に作り上げる狂人達は凄いと思う。
冗談とかじゃなくて。

「独断と偏見とちょっとしたスパイス」では大体2000文字から3000文字を目標に書いている。そして冒頭のオープニングトークに毎回400文字ぐらいを目安に書くようにしている。
私はやっている事はあくまでもレビュー。0を1にするような表現者ではない。それでもここまで苦しいのだから、クリエーターという職種の痛みは私の遥か上を行くのだろう。

頭が上がらない。





さて今回は6月28日公開の話題作『ルックバック』を取り上げたいと思う。

『ルックバック』藤本タツキ先生原作の長編読み切り作品のアニメ化作品。
藤本タツキ先生は週刊少年ジャンプの人気作『チェンソーマン』の作者として、またX(旧Twitter)では謎の小学3年生の妹「ながやまこはる」が先生に代わってアカウントを運営していたりと、色々と話題が尽きない漫画家の1人だ。

藤本タツキ先生で始めて読んだ作品は『ファイヤーパンチ』
ただ『ファイヤーパンチ』は合わなかった。最後まで理解できない作風で、何がしたいのか。その意図がわからなくてハマれなかった。まるで複数の子供達が巨大な紙にみんなで思い思いの絵を描いたかのような統一感の無さ。敢えてそういう作品として書いているとの事らしいが、私には理解し難い作品に見えた。嫌いというよりもフィーリングが合わない感じ。個人の主観なので、これはどうしようもない。

『チェンソーマン』は読まなかった。
そもそも前提にあまりジャンプの漫画をちゃんと毎週チェックしている訳でもなければ、毎期アニメを追っていないからそもそも情報が得ていない。という事もあるけど、『ファイヤーパンチ』の作風で藤本タツキ先生に苦手意識を持ってしまった事も大きい。

だからXで『ルックバッグ』『さよなら絵梨』『佐々木くんが銃弾止めた』を読んだ時に、やっぱ先入観って損だなって反省した。だって滅茶苦茶面白いだもん。破天荒な作風だけどメッセージ性を感じさせる作品で、魅入られえてしまった。どことなく遠ざけていた『チェンソーマン』もいずれは読みたいと思っている。

取り分けXで話題となった作品が『ルックバック』
その物語の完成度の高さ。単純に作品として面白いのと、読者に訴えかけるメッセージ性。

また京アニ事件があった7月18日の翌19日に配信された事、そして事件を連想させる内容ともあって、事件との関連性も一部で騒がれた。藤本タツキ先生なりの「祈り」と言った意見や、事件を「消費」してお金儲けしていると言った批判もあるようだ。この様な感じでXの世界では賛否両論になっている部分だが、このサイトではこれ以上触れない。


 
前置きが長くなった。そうそろ話を進めよう。

『ルックバック』は創作の痛みと喜び。そして、青春と離別を鮮烈に描く。
「漫画」を描き続け続ける藤野と「絵」を描き続けた京本。
2人の出会いと成長、そして別れが丁寧に表現され、見た人の感情を揺さぶる。

見ていて色々な物が頭をよぎった。「創作の苦しみ。」「創作の痛み。」「創作の楽しさ。」「読んで下さった人への感謝。」「青春。」「離別。」「人生の内に訪れる悲劇。」「青春の終わり。」「受け継がれる物。」、実体験や過去の記憶なんかもフラッシュバックしている。様々な負の感情が沸きあがる一方で、見終わった時には爽やかさを感じた。とても前向きなメッセージ性と、ラストカットの美しさがそう感じさせるのだろう。個人的に感動作というよりも、エールの様な物を感じた。無言で背中を押すような不器用な応援。「頑張れ。」って叫ぶのだけが応援じゃない。

アニメ映画って良くも悪くも大衆娯楽の側面が強すぎて、「面白さ。」を強調した作品が多い中、実写映画の、まるで邦画の様な空気感があった事も見逃せない。大衆娯楽として発展してきたアニメは、芸術として評価される事は少ない。大衆映画って映画評論家から評価される事は無いし、娯楽映画って結局未来には残りにくい。

だって今時『タワーリング・インフェルノ』の話を未だにする人っていないでしょ。私は好きだから話出来るけど、でもそれはしょうがないだよね。今の感覚だと所々チープに見えるし。でもこの映画は未来に残ると思う。もちろん原作者の藤本タツキ先生が2020年代を代表する作家さんというのも勿論あるのだけど、場面場面の美しさと緻密さ。さっきも書いた前向きなメッセージ性は決して陳腐化しないから。そして、素晴らしい作品を作り上げる事の出来たアニメ業界にも希望を感じた。10年後も良い作品を作り続けてくれると、そう思えた。

藤本タツキ先生の独特な画風のタッチを上手く取り入れながら、新海誠監督とはまた違った視点で描かれた背景のリアルさ。生々しさ。田舎のあの殺風景な空気感。現実の様にも見えた。だからこそ要所要所の場面の美しさがより映える。ただBGMがくどいというか、あざとく感じた。結末を知っていたからこそ、オープニングからちょっとネタバレっぽく感じてしまった。そこがちょっと残念。


また本作は挑戦的にも感じた。上映作品でありながら上映時間は1時間も無く、特別料金で一律1700円。例えばレイトショー割引とかも無い。サブスクでの独占配信が多い現在で、サブスクでは無く映画上映に拘り、結果として多くの話題と評価を集めたのだから、この挑戦が成功したのだろう。そもそも今ってコスパの時代で、何なら数か月立てばすぐサブスク配信される中で、こういう上映形態をとった事も凄いと思った。クリエーターから作品に対する確かな自信を感じさせる。……まあ結局その辺の裏事情はよくわからないだけどね。




ラストカットに映る藤野の後ろ姿を表す言葉をずっと考えていた。そして、朝井リョウ先生原作の映画『何者。』で使われたキャッチコピー「青春が終わる。そして人生が始まる。」という言葉が、すごく突き刺さった。思うに青春って必ず別れがあって、大小様々な形で喪失があるよね。藤野はもう立ち止まる事は無いだろうし、迷う事も多くは無いと思う。創作活動の中で決して消える事の無い「痛み」を抱え、喪失によって青春も終わる中で、ライバルで戦友だった京本との別れが藤野に何を遺したのか。空想が巡らせながら、このレビューを終わろうと思う。

映画を通してクリエーターというものについて今一度考えさせられる機会になった。
そして1時間に満たない上映時間でありながら、とても満足だった。
いい映画だったと思う。

良かったら見に行ってみて欲しい。 おすすめです。


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毎週金曜19時更新。 目に留まった創作物にレビューを書きます。批評家では無いので、凝った事は書きません。文章は硬いめだけど、方針はゆるゆるです。よろしくです。

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