君に成功を贈る 中村天風  ─それは昭和のインフルエンサーが生んだ新しい信仰─

2025年3月7日金曜日

ビジネス本 自己啓発 読書 日本合理化経営協会

t f B! P L
独断と偏見とちょっとしたスパイス 83



君に成功を贈る 中村天風
─それは昭和のインフルエンサーが生んだ新しい信仰─



Amazonより引用






21世紀は再び宗教の時代が来ると思っている。伝統宗教の復権ではない。新しい宗教の時代が。インフルエンサーの言葉をや政治イデオロギーを盲目に受け入れる。そこに自身の自我が無いならば、それは新たな信仰だろう。より細分化された信仰はSNSで伝播し、無限に広がっていく。自分で考える余地を失った時、人は誰かの思想を喋るだけのスピーカーになる。「自分の考え」はただの受け売りで、突き詰めて行ったら自我の無い空虚な世界。自分が今言った事は果たして自分の言葉なのか。常に疑問を抱えている。



私の勤める会社の社員手帳には中村天風氏の言葉が引用されている。自分はあまり彼の言葉が好きになれなかった。毎朝の朝礼時の唱和で彼の言葉を大声で言わされているからうんざりしているのもあるし、この朝礼自体がある種の思想教育的で好きに離れないのもある。
無論自分が上層部の立場だったら思想教育の徹底を図ると思うので人の事は言えない。



「会社の求める理想の社員像」が具現化したかのような文章が単純に嫌とも思うが、一番は中村天風氏と自分の性格との乖離にある。つまり彼とはそりが合わないのだ。私はキラキラした人間ではない。喜怒哀楽が激しいし、美点も汚点も表裏一体のどこにでもある人間だ。そんな人間が彼の思想に「漂白」されてしまったら、社会的には良い人間にはなるだろうが、自我は消えてなくなるだろう。私はそれが嫌なのだ。彼の文章は前向きで真っすぐで、でも一方で私の尊敬する愛すべき人々とは違って狂気が無い。狂いが無い。人間の酸いも甘いも受け入れる器も無い。昭和の精神論の延長上としか思えなかった。






そんなある日。職場繋がりでこの本を読む事になった。
それが今回取り上げる『君に成功を贈る』

ちなみにこれは記述では無く、複数の公演会で語られた中村天風氏の言葉を文字起こししたものになる。中村天風氏の書籍の中にはこちらが一番安価で入門書のような立ち位置であるようだ。これ以外の書籍においては1万円を超える程の高価な書籍が多く、今でいう情報商材ビジネスの様な販売方法が取られている。中村天風氏は元日本帝国のスパイでヨガ伝道師。その他様々な来歴があるようなので、興味がある人は調べてみて欲しい。そのメッセージは広く会社経営者に受け入れられ、思想概念として会社組織の骨格に組み込まれた。




読んでいて特に気になったのは、中村氏が語る歴史は果たして正確なのか。というものである。日露戦争の折に軍事スパイとして満州へと渡り、戦後は挑戦統監府の高等通訳官(位は大尉と将校クラス)として朝鮮に派遣されるが、そこで結核を発症し、その後は結核を治すべく世界を旅する。アメリカのコロンビア大学では医療を学び、エジプトの海上で偶々乗船していたヨガの先生と出会い、ヨガ伝道師となるきっかけとなった。

正直出版社はこの経歴が一体事実なのか、歴史学者や専門家を通してちゃんと調べるべきだと思った。畑違いだがドイツの作家・パウル・カレルの例だってあるのだから。彼はナチスドイツ政権時において外務省情報局長という経歴を持ちながら、歴史修正主義者的なノンフィクション戦記を戦後に多く発表し、名声を得た人物。中村氏の書籍は歴史書ではない。しかし、例えば東郷平八郎との晩年の会話を語った場面にしろ、その言動には疑問の余地がある。歴史的に彼の言葉はどこまで正確なのか。不正確なのか。はっきりするべきと感じた。

















しかしそれも自分の誤りだと思った。この書籍に歴史的事実性は求められていないのだから。その事に自分で気づき、はっとさせられた。

結局どうでもいいのだ。そんな事。正しいかどうかなんて。

ではコミュニティノートが付くようになってインフルエンサーに対する反論は視覚化しやすくなったが、インフルエンサーは止まらないし、インフルエンサーを支持するファンも止まらない。「歴史的正しさ」は力を失い、「有力な誰かの語る正しい真実だけが尊ばれる。」時代が来ているのだ。真実なんでどうでもいい。自分の考えが大衆に支持される事こそが重要なのだ。

この考えにたどり着いて、私はより意欲的に歴史を学ぶという意義を見出せた。歴史という長い本には、様々な事柄に対する類似例がある。それを知る事で、前例を元に自分の力で考え、今を寄り良い方法に導けるかもしれない。そのヒントを歴史に求めるのだ。私は自分の中の興味関心を埋める為に歴史を学び始めた。しかしそれではいけないと数年前から思い始め、ずっとこの問に対する答えを考え続けていた。そしてこの本を通して、その答えにたどり着く事が出来た。本書の命題からはかけ離れているが、その点においてはとても感謝している。




それからこの本をもう一回振り返ってみると面白い事に気づけた。正直この本に書いてある事自体は良い事ばかり書いてある。気の持ちようだったり、ネガティブな感情をどれだけセーブして、ポジティブにいれるか。という心の持ちよう。今でいうメンタルの強さを中心に書かれている。入門書としても適格で、まるで児童書のような文章量で、本を普段読まない人でも読みやすく。そして、分かりやすいフレーズや語尾の(○○だぜ。)の多様する事で、親しみを与えている。

この様にインフルエンサーというものは以下に相手に気づきを与えると共に、あえて聞き手が心の奥底に思っているものを文章化する。早い話が大衆迎合だ。大衆がどっかで思っている感情をすくい出すと共に、インフルエンサーの経歴や経験を持って説得力を生み出す。大衆は明確な答え、真実を求めていて、自分を肯定し、自分に正解を与える賢者を常に求めているのだ。


そしてそんな現代へ通じるインフルエンサーが昭和の時代にはもう登場していた事におどろいた。もしも中村氏が令和の時代にいたらどれ程の発言力を持ちえただろうか。インフルエンサーとしての発信力の高さを感じると共に、仏教みたいに難解で苦しみを与える宗教でも、神道の様に生活レベルまで信仰を落とし込み日常と同化してしまった宗教とはまた違い、中村氏のカリスマ性と分かりやすくメッセージ性の高い自己啓発は広く受け入れられ、会社組織の思想的主柱へとなった。このように生まれたインフルエンサーたちによる新しい宗教群は21世紀にはSNSによってより一層伝播し、世界を変えるのかもしれない。実際中村氏の書籍は大谷翔平も読んでいたとして、令和においても広く知られているのだから。







我々の傍にはいつも宗教がある。戒律も聖遺物も無い宗教が。我々はそれらに対してどのように接するべきだろうか。完全にブロックするのか。それとも一部でも受け入れるか。私にはまだ明確な答えは無い。我々も知性を持ったアウトローにならないといけない。私がお会いしてきた歴史学者たちは常に何かしらに怒りを抱え、知性を持ってその怒りをぶつけていた。ああいう生き方に自分も感化されていた事にも気づいた。より今、目の前の物に対して判断を下す為に、我々はより歴史を学ばなければならない。本書の本質からは逸脱してしまったが、学びの多い本だった。おすすめはしない。この感想を上げる事は私にも、このブログにおいてもかなりの賭けだと思うが、ここに上げる。



公式サイト






自己紹介

自分の写真
毎週金曜19時更新。 目に留まった創作物にレビューを書きます。批評家では無いので、凝った事は書きません。文章は硬いめだけど、方針はゆるゆるです。よろしくです。

ページビューの合計

Powered By Blogger

QooQ