戦国大名 北条氏直 黒田基樹 ─存在感無きの当主の足跡─

2023年2月3日金曜日

KADOKAWA 角川選書 黒田基樹 読書 歴史書

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 独断と偏見とちょっとしたスパイス 46

『戦国大名 北条氏直』 黒田基樹 
─存在感無き最後の当主の足跡─




公式サイトより引用





相駿三国同盟を結んでいた武田氏、今川氏、北条氏は時は違えどそれぞれ滅亡を迎えた。

「偉大な父」を継ぎ織田氏に戦いを挑んだが致命的な敗戦を迎え、
天目山の戦いにて劇的な死にざまを遂げた武田勝頼。

江戸近世後も特段大名として取り立てられる事も無かったが、
その数奇な生きざまが一部から注目を集めている今川氏直。

そんな彼らと比べると北条家5代目最後の当主となった北条氏直は、
あまりにも存在感が無かった。賛否両論で語られる2人とは対照的に。

そもそも注目される事が無いのである。

これは一体どういう事だろうか。


一般的なイメージとして氏直は、
父であり北条家4代目当主である北条氏政の干渉の元で政治を行ったと言われている。
しかしその氏政はねこまんまの逸話が語られる通り、無能扱いされている。

身も蓋も無い事を言えば、「無能の父の操り人形」という印象が強い。

今でこそ氏政は北条家最大の版図を広げた当主であり、
その活動は多少は再評価されているものの、
それでも主家を滅亡に導いた戦犯扱いされている事もある。

そんな父の影で隠れた当主。それが氏直である。






彼のイメージを変える書籍は発行された。

『戦国大名北条氏直』

この本では存在感無き最後の当主・北条氏直の生涯と、
氏直死後再興された北条家・狭山北条家の成立までをまとめたものになる。


この本を博多の書店で見かけた時にはとても驚いた。
一般的に存在感の無い人物である北条氏直の本。内容が想像できなかった。
しかし、この本を読むにつれて氏直に対するイメージが変わると共に、
彼が大変困難な情勢に翻弄された姿が浮かび上がった。


先でも述べた通り父氏政の影響下に置かれていた氏直。
その様子はまるで江戸時代における徳川家康・秀忠親子が行った、
大御所政治を連想させるものだった。


この事に対するこの書籍のアンサー。
それは、父が指導役として家督を継いだ息子の教育を行う、
代々続けられていた北条家の教育方針だったというものだった。


これには胸にすとんと落ちるものがあった。

そもそも考えればわかる事だ。
当時の世界には教養としての学問はあれど、
戦国大名を養育するような確立されたカリキュラム等無い。

そんな時代にどうやって戦国大名を養育するか。

北条家の場合は先代である父親が指導役となる。
当主の仕事を分担し、外交や軍事面等においては父氏政が指示を出しつつも、
家臣に対する書状では氏直が当主として証文を発行する。

そして氏直の成長に伴いその権限を少しずつ与える。


合理的な北条家流戦国大名教育システムである。



私達は年齢や結果にばかりに目がいきがちで、
「何故、どうして。」と理由を考える事を忘れがちである。

私は人間のやる事には大なり小なり理由が伴うと思う。
その事は忘れてはいけない。と自省させられた。


北条氏直。彼は家督を継いだ後も修行していた。
戦国大名北条家という家の主として。




北条氏直の生涯を一言で表すならば「薄幸」だろうか。彼の生涯は苦難に満ちている。

今川氏真の養子として幼少期に駿河に送られるが、今川家の崩壊により出戻りする。
その後は北条家の跡取りとして修行に励むが、情勢はそれを許さなかった。

同盟関係であった織田信長の死。
滝川一益軍との衝突。天正壬午の乱における徳川軍との衝突と同盟の締結。
天下人・豊臣秀吉の出現と時代が急速に変わろうとする中で、
あくまでも戦国大名として活動していた事があざとなり、小田原征伐の末に滅亡した。

小田原征伐の最終局面。小田原城の戦いでは初めて氏政の指示ではなく、
氏直自身が行動した外交活動。

それは北条家の降伏。

氏直は自身の切腹と引き換えに城兵の助命を嘆願する。
その潔さを秀吉に関心させられたが、
一方で氏政や一部の重臣、親族の切腹に処され、自身は高野山謹慎が命じられた。

その道中は大変冷ややかなものであり、

氏規 が 大 和国 奈良 の 興福寺 に 先着 し て いる。 その 様子 について、 多聞 院 英俊 は「 哀れ なる 在り 様 也、 さて も 命 は 捨て え ざる 者 也、 恥 を さらし 此 く の 如し、 浅 猿 〳〵」 と 辛辣 に 評し て いる。 多聞 院 英俊 は、 そうした 氏直 ら の 一行 を、 切腹 する のでは ない こと を もと に、「 生き恥 を さらす」 みっともない もの と 認識 する ので あっ た。

黒田 基樹. 【2冊 合本版】『戦国大名・伊勢宗瑞』『戦国大名・北条氏直』 (角川選書) (p.435). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版. 

という散々たる評価であった。

それから1年。
赦免活動の結果、1万石の大名として復帰するがその直後に疱瘡により死去。享年30。

豊臣家の旗本家臣として再出発に先駆けて、
今まで使っていた北条家の伝統的な花押から新しい花押へと一新され、
新しい人生を歩もうとするその時、彼は死んだ。



もしも彼が生きていたら。
北条家はどうなっていたのだろうか。

結果として北条家直系はこれにて途絶える。

そして北条家は氏直のいとこにあたるの氏規が北条家宗家になり、
その子氏盛の頃に父から相続した領地と、氏直の遺領の一部を相続し、
狭山北条家が成立した。


また興味深い話として、
北条家滅亡後も一部の旧家臣とは手紙のやり取りを続けていた様で、
その慕われていた様子が伺える。

氏直自身の人柄を伝える逸話が殆ど残っていないが、
旧臣との年賀状のやり取りは、何とも微笑ましい。




この本の面白い部分は、「戦国大名と天下人の外交」

長く地方分権的であった戦国期が終わり、
秀吉を頂点とする中央集権的な豊臣政権の樹立する中で、
地方の長である戦国大名が秀吉に帰順するという事がどんなに困難だったのか。


普段見落としがちな視点から学ぶ事が出来る。



戦国末期、激動の政治情勢の中で日本の半分を手中に収めた天下人・豊臣秀吉の出現。
秀吉、結城氏、宇都宮氏、佐竹氏、上杉氏等が連携する対北条包囲網による圧力の中で、
秀吉に帰順すべく交渉を続けていた矢先、
名胡桃城の一件とその後の外交の失敗が重なり、大規模な戦役・小田原征伐に繋がった。



北条家が何故ここまで動きが遅かったのか。



一つに、上洛には莫大な予算がかかるという問題である。

中国地方 の 毛利輝元 が 初めて 上洛 し て、 秀吉 に 出仕 し て い た が、 その 経費 は 三 万 貫文 で あっ た。

黒田 基樹. 【2冊 合本版】『戦国大名・伊勢宗瑞』『戦国大名・北条氏直』 (角川選書) (p.382). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版. 
ネットの知識で申し訳ないが、1万貫文は現代で換算すると約10億円ぐらいという。
と考えると、大体約30億円程かかっている事になる。
 
あの太守・毛利輝元上洛時にもここまで予算がかかっているのであるのだから、
いくら大大名北条家としても、その負担の大きさがわかるだろう。

ここ で 氏政 は、 沼田 領 請取 を 前 に し て、 早く も 上洛 の ため の 段取り を 考え 始め て い た こと が わかる。 また その 際 は、 供奉 の 軍勢 数 は できるだけ 少数 に しよ う と し て い た こと も わかる。 すでに 前年 の 氏規 の 上洛 で すら、 二 万 貫文 という 巨額 の 経費 が かかっ て い た。

黒田 基樹. 【2冊 合本版】『戦国大名・伊勢宗瑞』『戦国大名・北条氏直』 (角川選書) (p.382). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版. 


また北条氏規が一度秀吉と謁見しているが、その時ですら莫大な予算がかかっている。

中央集権化を推し進めた豊臣政権下においての「上洛」も、
想像を超える程に予算がかかる一大プロジェクトであった事は頭に入れるべきだろう。



そして二つ目に、大名本人の身の安全の保障がされていない。という事だ。

わりと大名クラスの領土を持つ国衆が中央から派遣された大名に宴席で暗殺される。
という最期がわりとあるのが戦国末期の恐ろしい所。

暗殺を警戒してか、北条家4代当主であった北条氏政の上洛は遅れてしまう。

あの家康ですら大政所(秀吉の母)を人質を得るまで上洛しなかった事を考えるに、
戦国大名としてその行動は間違いでは無い。


しかし、圧倒的な覇者・天下人の秀吉を前にして、
あくまでも戦国大名としての振る舞いをしてしまった。

それが秀吉の逆鱗に触れてしまった、


あくまでも秀吉に従う姿勢を見せていた北条家。
しかし、お互いに時間が足りなかった。

中世の外交が以下に困難な物だったのか想像させられると共に
この時期の北条家の外交は不運な玉突き事故の様な。
そんな不運な出来事の様に思えてならない。






この本を読んだ率直な感想は、「何ともいたたまれない気持ちになる歴史書」だろう。

この時代特有の残酷さ、悲劇性はまだ薄いが、
やる事が全て裏目に出てしまい結果破滅してしまう様は現代社会を連想させられる。

戦国大名の滅亡というよりも、会社の倒産劇に近いものを感じた。

北条氏直の生涯。
注目される事が少なかった戦国大名最後の当主の足跡を通して、
時代の転換期にあの天下人・秀吉と対峙する事が以下に困難だったのか。

普段に想像しない観点から戦国期を学ばせてもらった。

大変気づきの多い読書になったと思う。


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