デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 河野啓  ─そして、彼は山で死んだ。─

2022年8月5日金曜日

河野啓 集英社 読書

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独断と偏見とちょっとしたスパイス 第26回


『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』 河野啓

─そして、彼は山で死んだ─

公式サイトより引用 
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-781695-2




はアルピニストという人種に畏敬の念を抱いている人間の1人だ。

正気と狂喜の境目で、神々の頂を落とすべく奮闘するエゴイスト達。
常人には無い価値観。地球上最も死が近い場所に自らの意思で挑むという発想。
どこまでもストイックな姿勢はある種の修行僧のようであり、
命があまりにも軽い世界で見せる一瞬の輝きには、人間の美しさがある。


なら彼はどうだろうか。


栗城史多(くりきのぶかず)


私は彼について実はそこまで詳しく知らなかった。
アメバTVで彼がエベレスト登山をする様子が放送されている事と、
彼の評判は非常に悪かったという事ぐらいだ。

ネットでは死後数年経った今でも彼を批判する論調も多く、
中には彼の言動やSNSでの発信。彼の行動を検証したサイトもある。


一通り調べてみて思ったが、
彼にはアルピニストの様な一種の美しさは無い。

「登山業者」と言った方がいいだろう。


ただ彼もまた山に取りつかれ、山で死んだ。

山は平等に、人に死を給う。







『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』は、
賛否両論を生んだ登山家、栗城史多の生涯を描いたノンフィクションである。

著者の河野啓氏は北海道放送のディレクター。
テレビマンとして栗城氏と生前から接触していた。
マスメディアとして数々のノンフィクション番組作成に関わった著者が、
彼の人生とその登山、そして死に至るまでの心情へと迫る。

その為テレビマン視点から、番組制作の為にビジネスとして関わった
栗城氏の評価や関係が悪化する様子は大変生々しい。


この本制作のスタンスが解るページがある。

BCで総指揮を取ったディレクター、岩下莞爾さん

    (一九九三年死去)は、後進たちにこんな至言を遺している。


あるがままに撮ろう
あるがままに語ろう
在るものはあると言おう
無いものはないと言おう
無いものを在ると言ってはいけない
在るものを無いと言ってはいけない
もう一度
あるがままに伝えよう

岩下さんの言葉を、反省と自戒を込めて胸に刻みたい。
     デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 河野啓 単行本
     P271~P272より引用


この反省と自戒が、彼の表面側。毀誉褒貶な登山活動だけではなく、
人懐っこく愛されるキャラクターでありながら、少しづつ破綻していく人間関係。
自分が煽ってきたファン達の大きな期待。スポンサーの失望といらだち。
世間からのバッシングという逆風の中で、
徐々に周りから人がいなくなり、残った人とは向き合わず孤独になっていく心情。
そんな栗城氏の裏側の側面を鮮明に描いたドキュメンタリーを生んだ。


精神的にも追い詰められ、徐々に破滅への道を歩む事になった栗城氏。
一方でこの本には、悲劇的な最期を迎えるまでの間に、
彼があそこまで批判を浴びる事になったのか。その経緯をまとめている。

その為内容は一部残酷で、近しい者には辛い内容だろう。
今までのモラルの無い行いの数々も白日に晒す結果となった。

彼の行いは数々はまとめwiki等でまとめられていたが、
この書籍ではそれをさらに裏付けるものになってしまった。
あくまでもネットの情報だったものを、
結果としてマスメディアがその一部をファクトチェックした事になる。

事実を突きつける。
とは、とても残酷である。特にその対象が死んだ後ならば。

オカルトに傾倒する栗城氏の姿も描かれている。
その精神状態は「推して知るべし」と言った所だろう。
「夢」という言葉を多用した栗城氏とは、また違う顔がそこにはあった。



ただこの書籍内において、過剰な批判も、過剰な賛美も無かったように思う。
私にはこの本から、栗城氏に対する後悔と、奇妙な友情を感じた。

栗城氏の実像をドキュメント出来なかったテレビマンとしての後悔。
結果として彼が山で死ぬきっかけの一員を作ってしまったという後悔。

そして、彼の死後、栗城氏に向き合いその足跡を辿る中で、
栗城氏のパーソナリティを触れる中で見えた栗城氏の魅力。

人たらしで、多くのスポンサー集めに成功するほどのトークスキル。

ネットで多くの批判を浴びた彼が、何故人々にあそこまで愛されたのか。

ネットでは見れない側面があった。それをこの本は書ききった。
それは一種の奇妙な友情と言ってもいいだろう。

著者の栗城氏対する姿勢は厳しいが、
一方でほっとけない友人を描いているかのように思えた。

ただ、この暖かさも栗城氏が死んだからこそのものだろう。
死んだからこそ向き合える関係であり、
生きている間はお互いしこりが残っていた以上、
この本の様な目線から書けなかったと思う。


そして、もしも栗城氏はそんな周りの少しでも向き合う姿勢があれば、
山での死は無かったのかもしれない。
彼を悼むコメントを残した知人インタビューが哀愁を誘う。

精神の荒廃が、彼を死地であるエベレストへと導いた。



てこの本では、
インフルエンサーが精神的に追い詰められ、そして死を迎えるまでが描かれた。
それがフィクションならば現代の寓話というオチだったが、
これはノンフィクションだからいたたまれない。

登山という手段を使い、一躍注目の人物へとのし上がった栗城氏は、
人々に様々な教訓や、想い、記憶、議論の題材を残し、山へと消えた。

彼は根っこはアーティスト気質があったが、能力は足りなかった。

アルピニストの様な飽くなき向上心も無かったが、
アーティストとしてのエゴイズムはあった。

エベレスト登頂という夢と、連続で敗退する現実。

夢と現実の乖離は、いつの世も人を不幸にする。

「夢とは何だろう。」と、この本を通して考えてしまった。

彼の人生は誰もインフルエンサーへとなり得る現代。
多くの教訓や問いかけを、私達に投げかけています。



栗城史多という男の伝記。

ヤマケイ文庫で登場するアルピニストとは違う価値観を持った異端児の、
活動と死を鮮明に描いた一冊。

彼に興味があるならば読んでみでもいいだろう。


公式サイト
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-781695-2


来週は取り上げる作品は、
アニメのワンシーンのように。 Akine coco 
  ─現実が空想と重なる時に─

現実と空想が重なった。そんな写真作品集です。

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